呑川とは

 東京の河川は、荒川支流の1級3河川、呑川を含む独立の2級「城南3河川」がある。
 呑川は世田谷区の源流から河口まで14.4km、流域面積17.5キロ平方メートルで、川面を現す工大橋から河口までは9.5kmです。
 呑川の主な源流は5本の流れ、(1)田園都市線・桜新町駅付近を最源流とする呑川本流の「深沢」、(2)駒沢公園付近からの「駒沢」、(3)環七玉川通り交差点付近からの「柿の木坂支流」、(4)大井町線・等々力駅付近から九品仏浄真寺・自由が丘駅・緑ヶ丘駅までの「九品仏川」、(5)大田区の清水窪弁財天・洗足池付近からの「洗足流れ」がある。
 現在は洗足流れ以外の源流は、1972(昭和47)年頃に暗渠化され緑道となり、下水幹線として使用され、世田谷区は246号線から駒沢通りまで約1キロ間に湧水と雨水を循環する復元水路を1990(平成2)年に造った。  九品仏川が合流する少し手前の東京工大付近で、新宿区にある落合水再生センターで高度処理された下水処理水が、1995(平成7)年から放流(36,000トン/日)されている。尚、この高度処理水は城南3河川の呑川・渋谷川(古川)・目黒川に、川の浄化のために放流された。
 呑川は上流部の長い暗渠部分が、緑ヶ丘の工大橋のゴムフェンスでなくなり、やっと川の流れが姿を見せ、土手のある川ではなく3面コンクリート張りの実用本位の川だが、国道1号線の池上橋迄きれいな水が川床をさらさら流れ、適当に空気に曝され水の浄化になり、また川床に小段差をつけ、積極的に水を浄化していると思われるところもある。尚、道路下に造られた下水路が大雨の時に流しきれない下水を呑川に吐き出すための下水吐が所々に大口を開けているが、感潮域では増水した川の水が逆流する恐れがあるので設けられていない。

 中原街道に架かる石川橋の手前で、呑川が増水した時に一定水位以上の水が越流堤を越えて流れ落ちる排水設備の中原幹線取水口がある。1982年に下流の水害防止を目的に完成し、中原街道地下に設けられた放水路を通って多摩川の丸子橋地点で排水される。
 新幹線下流の道々橋付近で、洗足池からの洗足流れが合流する。以前は水田の用水利用のため一番低い地面より少し高めのところを流れていて、湧水利用のせせらぎ沿いに散策路が設けられ、呑川に合流する辺りは暗渠となり流れ込んでいる。
 新幹線から国道1号線までは、自然河川に近づける試みの蛇行、両岸に植栽や漁床、川底に湧水溝の窪み、大きな石の設置等が見られ、3面コンクリート張りから解放され、親水への配慮が伺われ、カワセミが石に止まっていたりする。
 池上本門寺手前付近から下流は感潮域に入る。最近は少し川の水がきれいになったので、河口からボラやマルタが遡上してくるのが見られ、カルガモ・カワウ・コサギが飛来してくる。池上通りの堤方橋より上流の養源寺橋付近で、旧六郷用水が南から北へ縦断するような形で注ぎ込み大森方面へ流れた用水跡が残っている。

 西蒲田の双流橋から蒲田駅手前のJR鉄橋にかけては、水が淀み汚れ悪臭がひどい地域で、ゴミフェンスの設置や曝気装置のジェットストリーマ―で浄化している。
 第一京浜国道の夫婦橋下流で、旧呑川が北東方向へ蛇行しながら流れていたが、昭和40年代から埋め立てられ緑道になっている。昭和10年に完成した新呑川で、呑川はこの付近から川幅もずっと広くなり一直線に真東に東京湾まで流れている。以前は海苔養殖用の小舟がたくさん係留されていたが、今は釣り船に代わっている。また昭和37年までは夫婦橋たもとの右岸と産業道路に架かる新呑川橋のたもとの左岸には、海苔養殖の積み下ろし場があったが、傾斜が緩やかな護岸になった親水公園として造られている。
 夫婦橋から河口までは、川の周りの土地の高さが水面とあまり違わないので、大雨による増水や高潮に備えるため、護岸はいわゆるカミソリ堤防になっていて、川沿いを歩きながら川面を見ることはできない。