「わたしたちの都市河川 呑川」刊行にあたって
「呑川の会」代表 高橋 光夫
今から半世紀以上も前、1966(昭和41)年3月に冊子『呑川は流れる』が発行されました。
それは大田区教育委員会からの発行で「郷土学習資料」と位置づけられていました。その頃の小学校・中学校の社会科の先生方の集まりである「小中連絡協議会」は、「小中学校における郷土学習−資料活用の手引き−」(第一集)を発行していて、第一集の次の課題として「呑川」に焦点をあてたのです。そして「呑川」流域に分布する小中学校29校に呑川流域の地理的、歴史的研究をお願いし、児童、生徒の教育活動に役立つ郷土資料の収集と郷土学習の指導計画例を作成していただくことになったのです。そうして出来たのが郷土学習資料『呑川は流れる』だったのです。
その頃の「呑川」は、春になると桜の花びらが下流まで流れて来て、上流の桜並木の様子を想い浮かべ、冬には「海苔船」が行き交い、まさに「郷土の川・呑川」を肌で感じていたそうです。
郷土学習資料『呑川は流れる』が発刊されて31年後、1997(平成9)年に「呑川の会」は設立されました。その間に呑川の改修は大きく進み、河川環境も大きく変わるだけでなく、大坪庄吾先生(呑川の会・初代代表)らを中心に、小学校での定期的な「呑川学習」も進められてきました。同時に「呑川の会」が出来たことによる会員の学習や研究も進みました。
そこで、もう入手不可になった『呑川は流れる』の再販を兼ねて、新データを盛り込み『呑川は流れる2004』が発刊されることになりました。発行は「大田区教育委員会」から、市民団体「呑川の会」へと変わりましたが、初版『呑川は流れる』の郷土学習資料の考え方を引き継ぎ、『呑川は流れる』の書名も受け継いだのです。
しかし、『呑川は流れる2004』も早々に入手不可になり、学校の先生はじめ呑川を知りたい・研究したいという方にご不便をお掛けするようになり、新刊の発刊が急がれるようになりました。
そこで会員自身がそれぞれ調査や研究をまとめ、全く新しいスタイルの本としてまとめ上げることにしました。それぞれの方が呑川の源流域や支流を、地図を元に探しあて、また呑川の名前や橋の名前の由来を探り、呑川の水質悪化のメカニズムを調べ、呑川に棲息する生きものの生態を観察し、植物は護岸に咲く野花まで探し当て、過去の災害は「水害」にとどまらず「転落死」など市民の犠牲も取り上げ、呑川の成立史から現代に到る歴史を明らかにしました。
また呑川そのものがつぶされかねなかった「都市河川廃止論」(36答申)の動きも報告し、呑川の未来を探る「グランドデザイン」の骨格も示しました。また現地調査や観察で得られた現場写真や地図を出来るだけ多く載せ、幅広い層の理解を深めていただく努力をしました。本の名前は『わたしたちの都市河川呑川』とし、「都市河川」の視点を前面に打ち出しました。こうしてこの本は、「呑川の会」会員のそれぞれの努力が結集されて出来上がったのです。
皆さまのご愛読をたまわれば望外の喜びです。
なお本書は「公益財団法人 河川財団」による「河川基金」の助成金を得て発行されました。
心からの感謝を申し上げます。
2022(令和4)年3月
公益財団法人 河川財団 https://www.kasen.or.jp/